そんなあンたにシャバダバダ
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僕はこう思う。
学生だけに卒業があるのではない。
社会人にも卒業はある。
ただ、学生の卒業は、それまで守ってくれていた人達から与えられる卒業だから、自分で決めることができない。
だから学生には明示的な卒業がある。誰かが誰かに与えるのだから、当然目に見える卒業だ。
だが社会人は、いつでも何かから卒業することが出来る。
つまり、自立しているのだから、卒業を決める権利を自分が持っていると言ってもいい。
そのために誰かの許可を取る必要はない。
それは自ら心の中で認める卒業であり、誰の目にも見えない孤独な卒業だ。
そしてそれは困ったことに、本人にさえ、見えない。
ここが重要なんだ。
人は見えないことは、”無い”と思ってしまう。
それは驕りではないかと、僕は思う。
見えないだけで、”ある”のかもしれない。
気付かないだけで、”ある”のかもしれない。
そういうことに気付こうとする姿勢は、大事なのではないか。
少なくとも、自分の目に見えないものは”無い”などと言う傲慢な人間にはなりたくないじゃないか。
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