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そんなあンたにシャバダバダ
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例えば恋愛。
一時の感情の昂りに酔って、「この愛は永遠に続く」と思う。

例えば感動。
良い映画や小説に感動して、「自分も頑張ろう」「自分もこの主人公のようになろう」と思う。

そんなものは続かないだろう。
他の誰か、他の何かに揺り動かされた感情は、ただ与えられたものに過ぎない。
その恋人やその作者が、毎日飽きもせずに感動や感激を与え続けてくれなければ、その気持ちは持続しない。

出来ればキミには、風に吹かれる木の葉のような人生を送って欲しくない。

愛する人には、いつも、毎日、昨日よりも愛する努力をして欲しい。
今まで気が付かなかった良い所を見付ける努力をして欲しい。
そしてその発見を、感動を、その人と分かち合う努力をして欲しい。
キミの力で愛を深めて欲しい。

良い話に感動して、何かを成し遂げようと決意したのなら、行動して欲しい。
結果が出ないことにクヨクヨしたりしないで、行動し続ける努力をして欲しい。
自分には才能が無いのではないかと落ち込むこともあるだろうが、自分を信じる努力をして欲しい。

気持ちが揺さぶられて一時的な行動を取るなんて、畜生にだって出来るじゃないか。
だったら僕らは、人間の尊厳を懸けて、その気持ちを永遠に続ける努力をしようじゃないか。

努力すること。
努力を続けること。
それが唯一、人間が畜生よりも優れる資質だと、僕は思う。

繰り返し言おう。
他のみんなと違っても、キミは自分の信じる道を進んで欲しい。
折角こうして出会ったんだ。
僕はキミが、風に吹かれる木の葉のような、そんな畜生だか人間だかわからない奴にはならないで欲しいと願っている。
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趣味でも、仕事でも、人間関係でも何でもいい。
自分の好きな何かを突き詰めていくとする。
そうすると、それ自体には何の価値も無いことに気が付く日が、いつか訪れるだろう。

これは実際に何かを極めた人でないとわからないかもしれないが、どんな分野でも、達人の域に達した人は、自分のやっていることなど価値は無いということを口をそろえて言っている。
達人の域に達した格闘家は、闘わないことこそ格闘の極意と言う。
研究分野を極めた大学教授などは、自分の研究は何の役にも立たないと笑う。

彼らは本心からそう言っている。
しかし、自分のやってきたことには最高の価値があることも信じて疑わない。

ちょっと考えただけではわからない。
しかし突き詰めると、必ずわかる。

価値も、意味も、ただひたすら、自分の中にある。
価値を見出すのは、自分でしかない。
意味を与えるのは、自分でしかない。

自分自身が価値や意味を創出する存在なのだ。
何かを極めた人は、最終的にはそれを知っただけだ。
自ら望んだものとは違うだろうが、結果として、ただそのことを知るためだけに、全てを捨てて追求したのだ。

それを知って、失望する人もいるが、そんな奴はドラクエ1の最後で竜王の味方になる方を選んでレベル1に戻される馬鹿だ。ほっとけばいい。

価値も意味も、自分の中にしかない。ということ。
それは言い方を変えれば、自分の極めたこと自体には価値が無かった。という残酷な事実に他ならない。
しかし、何かを本当に極めた人間なら、その過程で受け入れる土壌が出来ている。
無駄にするのか、しないのか。それも自分自身で決まることをわかっているからだ。

だから、自分以外のものから利益や喜びを与えてもらおうなどとは思っていない。
「人生に起きる出来事には、価値の無いものなど無い?」
「だから与えられるものに感謝して、その小さな幸せを受け取るべきだ?」
こんな考えは受身の存在。親や社会に守られている学生気分が抜けていない甘えた考えだ。

幸せも、価値も、自分で見出せ。
自分自身の責任において、発見するんだ。他人事じゃない。キミの責任でやるんだ。
それでしか、絶対的な幸せや価値を手にすることは出来ないんだ。

そしてそこまで達すれば、逆もまた見えてくる。
他人には、他人の価値や意味がある。ということだ。
キミにとっての悪が、他人にとっての善。などということはいくらでもある。
これはなんとなくわかった気になるかもしれないが、本当にこの意味がわかって実践できるには、やはり何かを極める必要があるだろう。

ここまでのことを知ってから、もう一度噛みしめて欲しい。
「闘わないことこそ格闘の極意」「自分の研究は何の役にも立たない」という言葉の真意を。
これほど深みのある言葉は、そうそう出てくるものではない。

「人生に起きる出来事には、価値の無いものなど無い」
そう言う人がいる。
彼らは決まってこう続ける。
「だから与えられるものに感謝して、その小さな幸せを受け取るべきだ」、と。

一見すると素晴らしく思えるこの考えは、実はとても危険なんだ。
それが何故かは、この後の話の流れで説明しよう。

一つ残酷なことを言おう。僕の考えだ。
そしてこれが、この話の本題だ。

人が生きることに、意味は無い。
我々の仕事や目標に、価値は無い。
全ての物事に、理由は無い。
この世は、ただ存在しているだけだ。それ以上でも、以下でもない。

これが事実だということを、どうかわかって欲しい。
いや、本当なのかと疑って欲しい。
何を信じたいとか、何を信じれば得するとか、そういうことではない。
単なる事実としてこれを本当に理解出来るようになるために疑って、突き詰めて欲しい。今後ずっとだ。

この先の話がキミのプラスになるかは、今言ったことの理解に比例する。
そしてそれ以上に、今言ったことを突き詰めれば突き詰めるほど、キミの人生は意義深く、とても価値のあるものになるだろう。だからずっと突き詰め続けて欲しいと思っている。

僕はその大事さを、自分の経験から実感している。

ちょっと余談。
これは本当かどうかわからないが、「justice」の語源は「just+ice」だという説がある。
直訳してみると、「ピッタリはまる」となるらしい。
それの方が「正義」よりもわかりやすい気がするね。

話を戻そう。
前回の話で伝えたかったのは、「陰陽」という考え方だ。
物事にはいくつもの側面がある。
正しいか、間違っているか、損したか、得したか、そんなことは見る側面で変わる。
それをあの話から汲み取って欲しいと思っている。
そしてこれを突き詰めていくと、最後には「陰陽」という考え方に至る。僕はそう思っている。

別に「陰陽」までは行かなくてもいいんだが、色々なことに対して多面的に理解できれば、それは人生にプラスになるだろう。

失敗しても、それによって得るものは多いだろう。
成功しても、失うものの危険性について身構えることも出来るだろう。
自分と違う他人に対しても寛容になれるだろう。
何か障壁に突き当たったとしても、充実した気持ちでそれを乗り越えようとチャレンジできるだろう。
そういう人生の過ごし方は、とても良いものだと思う。

さて、ここまでの話を前提に、そろそろ本題に入ろうか。
少し話を変えよう。
喩えとしての話なので辞書的な意味とは違うかもしれないが、興味深い話をしよう。

「正義」という言葉がある。
英語では「justice」だ。

実は「justice」という言葉が日本に入ってきたときに、日本語にはそれに当たる言葉が無かった。
そこで翻訳者(僕の記憶によれば福沢諭吉)が新しい言葉を作り、「justice」を表現した。
それが「正義」だ。

だから、実は「正義」と「justice」は、意味が違う。
「justice」は人間の長い歴史に生み出された表現たる言語であるのに対し、「正義」は一個人の解釈にすぎない。

「正義」というのは単一的な思想だ。
キミにとっても、僕にとっても、彼にとっても、「正義」は一つしかない。
だから「正義の味方」という言葉が成り立つ。

対して「justice」は、立場が違えば変わるものだ。
キミにキミの「justice」があり、僕には僕の「justice」、そして彼にも彼の「justice」がある。
それぞれの「justice」が示すものは違う。
例えると、キミにとって「成功」で、僕にとって「誇り」で、彼にとって「安心」。それぞれに違う「justice」がある。
この点で、「正義」とは真逆の存在だ。
「justice」の意味は広い。無限大と言ってもいいだろう。
それは主体の数だけ存在する。

面白いと思わないか?
「justice」の対象は狭い。最小だと一個人だ。しかし、だからこそ、意味は無限なんだ。
対して「正義」はみんなのものだ。翻訳者が当たり障り無く作ってしまったせいか、多くの人に当てはめようとした言葉だから、意味が薄っぺらい。そして薄っぺらい割りにはハッキリしない。
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